昨日祖母が亡くなったという連絡が父から来た。もう長いこと会っていない父方の祖母だ。10年前に東京に引っ越してから一度しか会っていない。その頃から施設暮らしを始めていた記憶があるし、認知症の症状は既に強く脳機能や運動機能はもう衰えていた。今思えば、母方の祖父母が毎日元気なことと比較して、かなり早い進行だったのではないかと思う。最後に会ったのは5年くらい前で、もう自分を認識されていなかった。小さい頃は色々してもらった気がするが、あまり記憶にない。亡くなったと聞いても少し遠い世界だった。
身内が死ぬという経験がほとんどないのはとても幸運だと思うが、子供の頃に父方の祖父が亡くなり、自分でも驚く程悲しくなり泣いた一方、その祖父から解放されたかのように人生を楽しみはじめた祖母を見聞きして少し複雑だったのを覚えている。死ぬのを待っていた、というと直接的かもしれないが、死後に羽を伸ばす人もいることを初めて知った。「長い間我慢していたからね」と周りが言うのを自分は屈折した目で眺めていた。既に丸かった祖父が過去、そこまで強権的だった姿を想像出来なかったが、祖母は何に縛られ、何に解放されたのだろうか。自分の母も、父に虐げられていた。同じ構造が親子で繰り返されているのだろうか。
明日には祖母の葬式に向かう。母と父はとうに離婚し、母は第二の人生を謳歌している。葬式にも参列しない。当時の自分が感じた恐怖は杞憂に終わったし、どんな気持ちだったかも忘れてしまった。祖父の死後、ことあるごとに作ってくれた祖母のドーナツの味だけがいまだに忘れられない。
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