4/8 楽しさを持ち寄れる場所を作りたい

友達が来た時にカフェに行った。Googleマップで近くて良さげなところを選んだだけだったが、その偶然が素晴らしい出会いを生んでくれた。とても楽しい時間だった。

何が楽しかったのかを改めて考えてみる。

まず2階に楽器がたくさん置いてあった。友達がピアノを弾けるので使えるか店主のおばちゃんに聞いてみると、快く了承してくれただけでなく、演奏を聞き、今自分がやっている楽器のことを話し始め、自分が演奏をはじめ、さらにバイオリンを持ってきて引かせてくれた。店主のおばちゃんが気さくだった。

友達が海外に赴任になるという話をすると、買ってきて欲しいものがある、と餞別を渡していた。中は5000円だった。客単価は二人で1000円ほど飲み物を頼んだ程度なのに、それ以上をポンとわたしてきた。頼んだ品物はいつか渡しに来てくれればいいと、特に気にしていないようだった。

楽器を弾いている私たちに混ざったり何処かに行ったりしながら、おばちゃんは楽しそうに色んなことを語った。この間来た人に自分のお気に入りの曲を演奏してもらったこと。こんどある店のイベントのこと。アイリッシュ音楽をいま習っていること。色んな楽器が弾きたくて先生に習っているが、どれも2年くらいしか続かないこと。自分の娘がパリに住んでおり、たまにお土産を送ってくること。

私たちにお構いなしだ。それが不思議と私には嬉しかった。楽器のセッションを友達としていた。私は楽器が出来ないのでドラムを鳴らした。これほど楽器ができるようになりたいと思ったことはなかった。

帰りの会計のときには、自分の店の客にどういう人がいて、どんな面白いことをやっているか語った。その中にはなかなかすごい人もいた。Facebookもやってるからフォローしといてよ、と言われた。自分の周りに楽しいことが溢れ、それをお裾分けしてくれている程度のものに聞こえた。私たちは感動しながら帰路についた。

社会学者の宮台真司が著書の中で、ものを学ぼうとするときに人間の動機は3種類ある、と語っていたことを思い出した。理解動機、競争動機、そして感染動機。直感で「スゴイ」と思う人がいて、その人のそばにいると「感染」してしまい、身ぶりや手ぶりやしゃべり方までまねしてしまうという感染動機。あのときあの空間で、「自分の楽しいことを他の人にお構いなしに喋ること」が、自分にとって感染だった。楽しいことをみんなが持ち寄る空間に憧れた。自分も持ち寄りたいと思った。

いつか、自分の楽しいことを語り、周りの人を楽しませ、自分も楽しむ、それをみんなが持ち寄る、そんな空間が作りたい。そのために自分はこれから先色んなことを勉強し、身につけていくのだ。そう直感した日だった。

そういう日を忘れないようにしたい。

「よくわからないけどスゴイ」から始まる学び。

「感染動機」だけが知識を本当に血肉化できる。
なぜか。

「競争動機」は競争に勝った喜びの瞬間。
「理解動機」は理解できた喜びの瞬間。
これらの瞬間を求めて、君はやる気を出す。

「感染動機」は違う。
スゴイ人に「感染」している何かをしている時間が、
すべて喜びの時間―瞬間じゃない―になるんだ。

だから、感染動機が最も強い「内発性」をあたえる。
「内発性」とは、内側からわき上がる力だ。
「自発性」と比べるといい。

「競争動機」も「理解動機」も自発性に基づく。

「感染動機」は違う。
「感染」している限り、「何か」自体が喜びになる。
やることなすことが喜びだ。これこそが「内発性」なんだ

1 誰かに「感染」し、
2 徹底的にその人の視点から理解し
3 やがて卒業して今度は別の誰かに「感染」する。

1~3を数回繰り返すと、
君自身が誰かから「感染」してもらえる価値を持つようになっているだろう。

宮台真司,「14歳からの社会学」,世界文化社 (2008/11/11),一部引用

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