好きなものは親のお陰で見つかると思った話

個人的な話

高校生のときの日記を読み返すと、「好きが小さい」って言葉が頻繁に出てくる。当時の気持ちを振り返ると、嫌いなものはあるけど積極的に選びたいものもあんまり無いのかもな、って感情だったと思う。

大学4年くらいまで自我がなかったと、よく友達に冗談めにそういうのだが、あながち間違いじゃない気がしている。自我がないと言っても、高校の頃から自分なりに考えて色んなことに挑戦していたし、大学受験も宅浪や仮面浪人をこだわって挑戦していたわけだし、全然何も考えてないってわけじゃないのだけど、、

好きなものをちゃんと選べるようになったのって、お金に余裕ができ始めた大学4年からだ。社会人になった今は、買いたいものを好きなだけ買えるようになって充実している。やりたいこと、好きなボードゲームの銘柄、お気に入りの店、行きたい場所、あげたいプレゼント、食べに行きたい店、自信を持って好きと言えることが最近増えてきた。それって、自分にとっては豊かになったな、と思う。好きが大きくなってきたのかもなとも思う。

振り返ると

けど振り返ると学部選びも所属する部活も趣味も、好きじゃないものにコミットしていた。なんでもやりたくてそうなったんだけど、今考えると別に好きじゃないものばかりだ。遠回りでもいいはずなんだけど同年代を見渡すとどうしても焦ってしまう。自分がいいなと思う人は、大抵あちこち迷っていない。高校生くらいから一つのことに熱中している人、それを選べる人は本当に凄いと思う。

自分のいう自我は、自分の好きなものを自分で選べるっていう感覚につながっているな、と社会人になった最近思う。普通のことかもしれないけど、自分には好きなことがわからないっていう感覚がずっとあって、それが永遠にコンプレックスだった。全力で打ち込みたいのに、打ち込むほど好きじゃないなっていうものばかりで、いつも不安だった。

好きなものが無かった理由

今付き合っている彼女は、「〇〇にある△△の店の☓☓が好き」と言うんだけど、自分にはそんな考えがなかった。好きなものはある。でもそれは種類であって、例えばパンの中でもデニッシュ生地のものが特に好きだけど、どの店のものがお気に入りとか全くない。行きつけの店もない。

なんでかなって考えると、家がそうだった。なんだか不思議な家だった。買うものにこだわりがなかった。食パンは食パンとしてしか扱ってなくて、超熟が美味しいだとか、あのパン屋の食パンが好きだとか、そういう銘柄の話はほとんどなかった。ただ値段だけだった。「安いのを買う」「奮発して高いの買ってみる?」

服も、服屋に行ったという記憶はあってもなんの店だったかな。思い出せない。ラーメン屋によくいく記憶があっても、「〇〇屋にいこう」じゃなくて、「ラーメン食べに行こう」だった。

自分が同年代と比べて遅れているといつも感じる瞬間があるのも、そういうことなのかもしれない。服も髪も遊びも音楽にも、何にも無関心だった。無関心というか知識がないのだ。いつも使うものに名前がない。思い入れもない。パンが食べたいと思っても店の名前は出てこない。そういう学生時代だった。そりゃ服もダサくなるよな。

とはいえ

でも、自分にも好きな音楽はあった。90年代の懐メロ、車でよく流れていた。それだけで好きなのだ。もちろんタイトルは知らなかったけど、自分で調べて知っていった。子供の好きは親が作ると思う。好きに出会わせてくれる。その解像度も親が決める。

好きなものに名前を持ちたい。そういう人生を送りたい。そうしたほうがきっと豊かだ。

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